無宗派の一周忌とはこんなもんやで! [法要]
無宗教の場合の葬儀って
僧侶や神職を招かない
戒名などはない
のが基本である。
現にうちのおかんは戒名なるものは無い。
本人が必要ないと言っていたから。
さらに宗派に関しても祖先はそうかもしれないけど
私はどこにも属さない無宗派で、とも言っていた。
そう、無宗教の場合は供養の形に決まりがないのがほとんだ。
つまりは年忌法要やお盆などというものは本来無いものなのだ。
見送ることは自由でありこれこそが供養の形ともいえる。
しかし
葬式の連絡もなし、戒名もなし、お経もなし、だけど納骨だけさせてくれというのはお寺側も納得しない。
もちろん親族なども含めてだ。
(これが事実)
だから無宗教だけど仏式を取り入れて坊主を呼んで形式ばった葬儀や納骨を行ったんだよね。
※無宗教葬もお任せください!と謳っている葬儀社でも実際には難しいのがほとんど。
まぁこれは俺がめんどくさいとかそういった問題じゃなく故人(母親)の意思だから。
つまりはおかんが宗派に属さない自由な感じでと、
よく生前言っていたし本来なら散骨を希望してたけど
それだとお墓参りをするときに子供たちが困るから墓を建てたとも言っていた。
エンディングノートには呼ぶ人間も書いてたし、簡単な遺書もあったわけだ。
完全に自由葬でやるなら坊さん等呼ばなくてもよいし「偲ぶ会」とか「お別れ会」みたいな形でやっても良いんだよ。
現状今の世の中、自由葬なるものは納得しない人が多いけど俺はありだと思うし、俺自身もそうしたいと思っている。
葬儀のやり方ってここ最近いろいろと変化してきているわけだよ。
日本だけだよな。
こんなにガチガチにしばられてるの。
他の国見たら分かるけどいろいろあるから。
(ここ日本だからって言われたらそれまでだけどね)
本来なら四十九日だって一周忌だとか三回忌だとかそういった仏式の法事という概念が無いからね。
ただ、それだと寂しいからとか、、、
そんなんで成仏しないとか、、、
一般的にありえない、、、
倫理的にとか人としてどうとか、、、
上記の声が聞こえてきそうだが
根本的な法事の意味分かってんの?
と改めて問いただしたいわ!
もうね、そんな考え自体がダメだよな。
日本人の右向け右という右に習え精神、周りがこうだから自分もこうしようみたいな日本人特融の性質ってやつよ。
別に誰に言われたわけじゃないけど
改めて考えてしまう。
つい話がそれてしまったが
大事なのは気持ちだからな。
形式ばってやりたくないものを行って自分らが納得したいと思うのではなく
本当に心からの気持ちで故人を想うのであれば時間などいつだって構わないのだ。
引用
無宗教の葬儀や供養では、参列者がお焼香や玉串奉奠をするわけでもありません。もちろん参列者も自分の宗教の慣習で手を合わせたり、十字架を切ったりしても咎められることはなく自由です。供養のかたちも、故人を偲ぶために何をしたいかが原点でいいのではないでしょうか。特に命日やお盆といった宗教的な決まり事はしなくても良いですし、なんとなく心にひっかかるのでしたら偲ぶ会をするのも良いでしょう。
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クソ暑い中無事に49日も終了 [法要]
20日ほど前のクソ暑い8/4(金)に滞りなく49日も終わった。
こじんまりした霊園で坊さんがお経をあげ
白木の仮位牌から本位牌に魂入れをした。
納骨を終えて普通に飯を食って何事も無く終了。
白木の仮位牌から本位牌に魂入れをした。
納骨を終えて普通に飯を食って何事も無く終了。
そしてある日、少し弱気になった時にふと俺はおかんを思いだした。
か細くなった声、
痩せ細った顔を思い出す度に目頭が熱くなってくる。
この半年は激闘だったよなぁ・・
無くなってからまだ二か月だし・・
なまじ元気だった姿の方が印象深いから尚更だ。
これからもこのような辛い出来事を体験しながら生きていくのだろう。
あたりめーだよ!
みんなそうなんだよ!
あまったれるなよ!
もう一人の俺が気合いを入れ直す。
そういえば昔こんな歌あったよなぁってふと思い出した。
たしか岡本真夜の歌だったな。
サビが「涙の数だけ強くなれるよー、アスファルトに咲く花のようにー」って曲で。
昔から好きな曲だったけど改めて聞くとグッと応えるものがあるなーって涙ぐんでしまったわ。
人はいつか死ぬ、それが遅いか早いかの違いだ。
常に呪文のように言い聞かせ心を落ち着かせている自分がいる。
まだまだいける。
踏ん張っていこう。
高みを目指し最高のエンディングを迎えようじゃないか!
んー、勢いで書いたので何かおかしな文になってしまったな(笑)
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