だいぶ腹水が酷くなってきたようだ。

今までの病院から緩和ケアを重視した病院で診察を受ける。

大学病院では治療を優先した患者ではないと意味が無いし、既に対処療法しか出来ないからだ。
 
 

今の医学ではやはり限界に近いのだろう。(西洋だろうが東洋だろうが)

だからこその緩和ケアであり痛みを極力なくしながら苦しまない生活を送ってあげる QOL (生活の質)を重視するのが優しさであり思いやりだからだ。

利尿剤、アルブミン、穿刺

この3つが基本なわけで末期ガンの腹水患者に対する処置は一時凌ぎであるのも言うまでもない。
 

あまりにもきつそうだから「腹水抜く?」と聞いても「まだ我慢できると答える」し我慢強い人だからヤバい感じもする。

腹水を抜いても(腹水穿刺)貯留スピードが以前よりも早くなる。
 
 

そのスピードは一週間もないし2、3日だ。
 

腹水でお腹が苦しい患者さんが水を抜いてもらって楽になったと喜んでいたのもつかの間、すぐに元の大きさに戻ってしまい大変ショックを受けて落ち込んでしまうケースもある。
 

だけど、やっぱり苦しい姿は見ていられないよね。

例え麻薬のようにエンドレスのようになろうが抜き続けて楽になるのであればそれも考えないと。

穿刺にしてもCARTにしても考えないといけない。
 

やる気があったおかんもやはり投げやりになってきている感も多少見受けられる。

とくにあの人は他の人の前ではかなりいい子ちゃんで元気に明るく振舞っているから。

朝と夜の機嫌の差も激しいし、オレの中では想定内とは言えかなり堪えるものがあるなぁと。
 

そして明日からは弟の家族と長野に行くみたいだ。
 
  

ちょうど30年前に家で飼っていた犬が末期のフィラリアになって長野に連れてってあげたのを思い出した。
 


あのとき犬は5歳ぐらいだったかな。
はぁはぁ言いながら苦しそうに立っていたのを記憶している。
 

動物病院に連れて行ったら顕微鏡で蚊のような寄生虫がいて、
フィラリアっていう病気だって先生が教えてくれ、長くはもたないだろうと。
その時は頭の中が真っ白になったのを今でも覚えている。

そして倒れる瞬間は今でも鮮明に覚えているのだ。

「辛かったね、ごめんね」とおかんは言っていた。

オレは夏のクソ暑い日に涙を堪えながら横で立ち尽くしていた。

一番身近にいた犬なのになぜか腫物をみるような態度を取ってしまったことも。

まだまだ子供だったのかなぁオレは。
 

だから帰りの車の中でこっそり泣いた。

家に帰ってきてタオルケットに包まっては泣いた。

空っぽになった犬小屋、飲み水をいれていた容器をみるたびに涙が溢れだした。
 
 
小学生のオレは悲しみから逃れるようにファミコンでゲームをして近所の子供たちとバットベースをした。 
 

30年たった今、そんなことすらすっかり忘れていたが、うちのおかんが長野に行くんだと聞いた時ふとそんな昔の出来事が鮮明に思い出されたんだよね。

「まだやれる!全力を尽くす!」
※自問自答のように繰り返してます。
 

残された時間は限られている。

しかし湯治に行く計画もあるらしく本人はまだ前向きのようだ。

オレもまだ諦めたわけではないからね。 
 
 




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